AI動画にナレーションを入れるとき、AIボイスを使うことがある。原稿を流し込めば、それらしい声が読み上げてくれる。便利だ。便利なのだが、これがまあ、手ごわい。
厄介なのはイントネーションだ。全体はいい感じなのに、一語だけ妙に浮く。その微妙なズレを聞き取って、直して、また聞いて、を延々と繰り返す。数秒のナレーションに、平気で時間が溶けていく。日常会話では一度も気にしたことのない「音の高さ」に、こんなに神経を使う日が来るとは思わなかった。
やっていて、面白い現象に気づいた。同じ単語なのに、置かれる場所で読みが変わるのだ。たとえば「時間」。単体で言う「時間」と、「休憩時間」の中に埋め込まれた「時間」——この二つ、注意して聴き比べると、明らかに高さが違う。私たち日本語ネイティブは、教わってもいないのに、無意識にきっちり読み分けている。ところがAIは、まさにここでじわっと違和感を出してくる。「あ、いま"じかん"がおかしかったな」と、耳が勝手に引っかかる。
で、この"別物の時間"問題、正体を追いかけていくと、日本語という言語のなかなかマニアックな仕組みにたどり着いた。しかもそれは、「AIが9割やれる時代に、なぜ最後の一割だけ人間の耳が残るのか」という話にもつながっている。
今日はそこまで、潜ってみる。
英語は強弱、日本語は高低 ── ピッチアクセントという壁
大前提から。日本語は「高低アクセント(ピッチアクセント)」の言語だ。英語のように、どこを強く言うか(強弱)ではなく、どこで音が高くなり、どこで下がるか——その「高さの動き」で言葉が成り立っている。
いちばん有名な例が「はし」だ。箸と橋、文字にすれば同じ音なのに、高さのパターンが違うだけで、聞いた人は一瞬で意味を区別する。強く言うわけじゃない。ただ、音の高さの上がり下がりが違うだけ。私たちはこれを、辞書で暗記したわけでもなく、当たり前にやっている。
そして日本語のアクセントは、ざっくり言うと「どこで音がストンと下がるか(下がり目)」で型が決まる。この下がり目の位置がひとつズレるだけで、ネイティブの耳には「なんか変」と刺さる。AIボイスで一語だけ浮いて聞こえるのは、たいていこの下がり目の位置を外しているからだ。
「時間」が別物になる正体は、複合語アクセント
では、なぜ同じ「時間」が場所で変わるのか。
カギは、日本語の複合語アクセントという仕組みにある。単語がくっついてひとつの複合語になると、部品それぞれが持っていた元のアクセントは一度リセットされ、複合語“全体”として新しい下がり目が計算し直される。つまり「休憩時間」は、「休憩」+「時間」を単に足したものではなく、「休憩時間」というひとつの新しい単語として、別のアクセントに組み替わる。
だから、部品だった「時間」の高さも、単体のときとは変わる。同じ二文字なのに、置かれた文脈(=どんな複合語の一部か)で読みが動く。しかもこの組み替えのルールは、後ろにつく要素の性質などで細かく分岐する。日本語ネイティブは、この面倒な規則を、誰にも教わらずに体に入れてしまっている。あなたの耳が「じかんがおかしい」と勝手に引っかかったのは、その暗黙のルールと、AIの出力がズレた瞬間だったわけだ。
なぜAIは、まさにここでコケるのか
AIボイス(音声合成)は、テキストを受け取って、どう読むかを予測して音にする。平均的にはものすごく上手い。なのに、なぜ一語だけ外すのか。理由は、日本語の読みが文脈に強く依存するからだ。具体的には、こういう罠がいくつも重なっている。
- 複合語・固有名詞。 さきほどの「休憩時間」のように、組み合わせで下がり目が動く。特に珍しい複合語や、人名・地名のような固有名詞は、正解データが少なく外しやすい。
- 数詞+助数詞。 「三時間」「三時」「三個」「三本」——数と単位がくっつくたびに、読みもアクセントも変わる。ここは日本語でも指折りの難所だ。
- 同じ表記で、読みが複数(同形異音語)。 「今日」はきょうか、こんにちか。「一日」はいちにちか、ついたちか。「行った」はいったか、おこなったか。文の意味がわからないと、正しい読みすら選べない。
要するに、正しく読むには「辞書+前後の文脈+複合語の規則」を全部つき合わせる必要がある。AIは大量のデータでその大半を当ててくるが、低頻度な語や、文脈を取り違えやすい場面で、下がり目をひとつ落とす。全体は自然なのに、一語だけ浮く。あの現象の正体はこれだ。ちなみに、英語より日本語の音声合成が難しいと言われる一因も、この「高さが文脈で動く」性質にある。
じゃあ実際、どこで転ぶのか(と、私の回避法)
理屈はわかった。ここからは、現場で本当に食らったやつを、回避法つきで並べておく。
数字と助数詞:「1分」が「いふん」になる。 日本語は、数える単位(助数詞)で読みがころころ変わる。「分」がわかりやすくて、いっぷん、にふん、さんぷん……と、直前の数字によって「ぷん」と「ふん」を無意識に使い分けている。ところがAIボイスに「1分」と数字で入れると、正しい「いっぷん」ではなく「いちふん」「いふん」のように読み崩すことがある。回避はシンプルで、ひらがなで「いっぷん」と書いて読ませる。数字のままだと文脈頼みで外すので、読ませたい音を直接ひらがなで渡してしまう。原稿の一部だけ、あえてひらがなにするわけだ。
声の言語設定:「を」が「ウォ」になる。 テキストを流し込んで読ませるタイプは、日本語ネイティブの音声を使えているかどうかで、仕上がりが激変する。日本語以外の設定のままだと、全体が“海外の人が頑張って日本語を読んでいる”感じになる。しかも、きれいに読めているのに、助詞の「を」を、発音どおりの「お」ではなく、ローマ字読みの「ウォ(wo)」で読んでしまうことがある。まずは日本語の読み上げ音声を選ぶ。これだけで大半は防げる。
英語混じりの固有名詞:社名がネイティブすぎる。 英語が混ざった固有名詞は、独特のクセが出る。たとえば「株式会社FREETANCE」と入れると、"FREETANCE"の部分だけ、やたらネイティブな英語発音で返ってくる。モデルはラテン文字を見た瞬間、英語の発音モードに切り替わるからだ。でも日本の社名は、たいてい“カタカナ英語(ジャパニーズイングリッシュ)”で読んでほしい。そういう時は、わざと「フリータンス」とカナやひらがなで入力する。表記そのものを、読ませたい音に寄せてやるわけだ。
そして気づく。ここで私がやっているのは、全部「機械に、どう読ませたいかを、こちらから明示する」作業だ。数字をひらがなに、英語をカナに、音声を日本語に。AIに任せきりにせず、こちらが“こう読め”と指定してやる。 便利な自動化の、最後のひと差し。それをやるのは、やっぱり人間なのだ。
9割やれる時代に、なぜ最後の一割に人間の耳が残るのか
ここからが、本当に書きたかったことだ。
音声合成の平均品質は、これからも上がり続ける。9割どころか、95%、98%と、自然になっていくだろう。でも、残った数%の「ここ、なんか変」を検知する能力——これは、いまのところネイティブの耳が、いちばん速くて、いちばん安くて、いちばん正確だ。生成そのものはAIでも誰でもできるようになっても、「違和感に気づいて、こう直す」と判断する最終工程は、母語話者の耳に残る。
これは、以前このブログで書いた「AI時代に価値が移るのは、手を動かす技術より“こうと決める力”だ」という話と、まったく同じ構造をしている。読み上げるという作業はAIに移った。でも、その出力を聞いて「この“じかん”は違う」と判定し、基準に照らして整える——その検品と判断こそが、人間側に残る一割なのだ。だから私は、AIボイスを使いながら、最後はやっぱり耳で詰める。その一割が、動画全体の品質を決めてしまうことを知っているからだ。
たった二文字の「時間」が教えてくれること
面白いのは、私たちがこの精緻な読み分けを、完全に無意識でやっていることだ。「休憩時間」を発音するとき、誰も複合語アクセントの規則なんて考えていない。ただ、正しく言える。そして、間違った高さを聞けば、理由は説明できなくても「変だ」とわかる。
AIボイスと格闘して、はじめてその凄みに気づいた。日常でスルーしていた二文字の「時間」の中に、日本語という言語の奥行きと、AI時代に人間の耳が最後まで担う役割が、両方とも詰まっていた。数秒のナレーションに時間を溶かすのは、正直しんどい。でも、その一割を詰められる耳を持っていることは、これからむしろ強みになる気がしている。
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